80~90年代に一世を風靡した雑誌『My Birthday』とは?『My Birthday』展レポート

FEATURE
edit by Shiritaikun
1979年創刊の占いカルチャー少女雑誌『My Birthday』(実業之日本社)。
刊行当時は多くの読者に愛され、全国におまじないブームを巻き起こしたんだとか!
当時を知らないスタッフがその魅力に迫るべく、『My Birthday』展に行ってきました。
さらに、当時の編集長・説話社 酒井社長にインタビューさせていただきました🦉
<『My Birthday』>
1979年(昭和54年)4月に創刊。
日本初の少女向け占い雑誌。
最盛期40万部を誇り、おまじないブームを巻き起こす。

<説話社 代表取締役社長 酒井文人氏>
『My Birthday』初代編集長。
著作:『編集者』時代を演出する編集者の世界(実業之日本社)

ぼんやりネットサーフィンしていると、ふと気になる情報が!

なにやら弥生美術館で『My Birthday』展が開催されるとのこと。
これは一体どんな展示会なんだと『My Birthday』について調べてみると、“伝説の雑誌”“魔女っこハウス”“MBメイト”など気になるワードがたくさんでてきます。

これはぜひ🦉<「シリタイ!」ということで、『My Birthday』展の内覧会にお邪魔しました!

キュートなポスターに思わず足を止めてしまう弥生美術館入り口

同窓会のような雰囲気の開会式

内覧会ということもあり、『My Birthday』歴代の編集部員、漫画家の先生方、占い師の先生方が勢揃いで、会場は異様な熱気に包まれていました。

開会式が始まる前からすでに、再会を懐かしむ方や当時を思い出し感極まる方がいて和気あいあいとした雰囲気です。

開会式は今回の企画者である弥生美術館学芸員 内田さんのご挨拶から始まりました。

内田さんは、『My Birthday』の読者で中学生の時にルネ・ヴァン・ダール・ワタナベ先生(※)に「弟子にしてください」とお手紙を書いたことがあるそうです。すごいのが、ルネ先生から返事がしっかりと届いたとのこと。このエピソードこそが『My Birthday』という雑誌の特徴の1つであり、大きな魅力です。

(※)ルネ・ヴァン・ダール・ワタナベ先生…日本の占星術師。『My Birthday』にて大人気の「魔女っこ入門」シリーズを連載。

『My Birthday』がいかに読者思いで読者の存在が大事であったかは、占い師の先生方、漫画家の先生方のお話からも伝わります。

当時「妖精伝説」という連載で読者に優しい夢の世界を見せてくれていたレジェンド占い師エミール・シェラザード先生ですが、実は初めて書いた原稿は当時の編集部にやさしく(?)お叱りいただいたんだとか。『My Birthday』を企画した柴野さん(故・実業之日本社)はエミール先生の原稿を見てただ一言「うーん。具合が悪いね」と言ったそうです。 それは内容が専門的で読者目線になっていないということからで、それ以降エミール先生は読者がどんな風に過ごしているか知り、寄り添うことを意識したそうです。

そしてエミール先生は「読者から毎月毎月いろんなお手紙をいただいたり、読者大会に行けばいろんな悩みのご相談で駆け寄ってくださったり、そして合宿に行ったり、そんなお励ましがあったからこそ今日(こんにち)があり、そして今日この会場を見れば何十年間の結晶なんだろうとつくづくしみじみと感じます」と話されていました。

ここで知らない方は読者大会?合宿?と思われたかもしれません。『My Birthday』では“MBエムビーメイト”と呼ばれる有料会員制度がありMBメイト向けに全国各地の読者が実際に集まる読者大会や合宿が行われていました。展示では読者大会の様子を載せた紙面も見ることができ、とっても面白いです!

まつざきあけみ画『My Birthday』1981年10月号表紙原画 個人蔵   ©まつざきあけみ

鏡リュウジ先生は『My Birthday』の元読者でありMBメイトであったそう(笑)!エミール先生の妖精カードもこっそりやっており、読者大会にも参加されていたんだとか。

エミール先生と同じく初代メンバーのマドモアゼル・愛先生も『My Birthday』について、「いろんな先生が登場したけれども、『My Birthday』の原稿はどんな先生でも気が抜けないです。一番純粋なお嬢さん方が中心でご覧になるからこその直観力たるや物凄いものがあり、それにあなどれない、誤魔化しがきかないんです」と仰っていました。

読者向けに寄り添っていたのは占い師の先生だけでなく漫画家の先生方も同じです。

編集の方と一緒に毎月毎月どんな表紙にしようか試行錯誤してやさしいタッチのキャッチーでキラキラしたイラストを描いていました。5代目表紙のTAMMYさんは編集部からのアドバイスで『My Birthday』の表紙のみ目にハイライトを入れて、読者の目にいくように工夫されていたんだとか。

歴代の表紙・イラストは展示会で見ることができますのでぜひ足を運んでみてください!

『My Birthday』1988年4月号表紙 実業之日本社

当時の編集長 説話社 酒井社長へインタビュー

ここからは初代編集長である酒井社長に『My Birthday』本誌の魅力をお伺いします。

―『My Birthday』刊行の経緯(きっかけ)について教えてください。

実業之日本社柴野さんから『少女の友』を継ぐ少女向け占い雑誌を作らないかとお声がかかり、やってみたいと受けたのがきっかけです。

ただ当時は中高生の女性向けの本がほとんどなかったし、占いもその頃は専門的であったりして若い人がやるものではなかったんです。でも、占いっていうのはそういうものではなくて、例えば話をしていれば映画とか本の話題と同じように一度や二度占いの話があがっても良いじゃないかと。そういう占い誌を出したいなという気持ちもあったんです。

説話社 酒井社長

―表紙について、当時の女性誌はモデルなど実写の起用が多かったと思いますが、なぜ漫画家の先生のイラストに決めたのでしょうか。

僕の直感だったんですけどね。生きている女性だといろいろありますよね。それはそれとして良いですけど、好き嫌いもあるでしょうし。ロマンというか、優しさというかそういう絵を出しておけばそれがずっと続くという感じがしたものですから。イラストの場合はこちらの意見など話し合いができますし、写真だと読者ではなくその人を大事にしなきゃいけないことがあって、『My Birthday』においてそれはちょっと違う気がしまして。いずれにしても読者のためですから。こういった考えからやっぱりイラストが良いなって。ただ直感が大きいので理由は後付けになってしまいますね。イラストの方が長く一緒にやっていけるだろうというのはあったかもしれません。

1983年当時の雑誌。バックナンバーは自分の部屋に保管しているとのこと。

―開会式のお話でも『My Birthday』の表紙へのこだわりを感じました。やはり読者に向けてのこだわりというのが強かったのでしょうか。

そうですね。これからいろいろお話する中にどれだけ読者のことを考えていたかっていうのはわかると思うんですけど。なんでしょう、自分の作りたいものっていうのもあるんですけどやっぱり読んでわかってもらわなきゃ意味がないですよね。読者からの意見は全て大事にしていました。連載当時、読者からのハガキが1年しないうちに1万通くらい来たんですよ。大きな段ボールが10箱くらい届いて、それ全部に目を通していて。

誕生日の人にメッセージを送ってもらって、誌面がいっぱいでも、1人でも残すわけにはいかないので「全部入れちゃえ!」とその月の誕生日の人は1人残さず掲載しました。

プレゼントも必ず出して付録も良いものにして…こういうことでとにかく読者を逃さないようにしていました。

ページのラストに、生まれ星座特集「全国の〇〇座さんおめでとう!」のコーナーを掲載。まわりを取り囲むイラスト・写真はがきに、読めるかどうかギリギリの小さい字で読者メッセージを入れていました。

―展示でも気になったのですが誌面の隅(天地小口)にもびっしりいろいろ書いてあるのが…。

これはもう編集部に届くものは全部出してあげようと。今こういうことをしたら怒られちゃうじゃないですか(笑)。全ページじっくり見てもらえる、もし出さなかったら「はがき出したのに載ってない!どうして」って絶対怒られちゃいますからね、必ず載せないと。また、当時は細かくて小さい字の方が人気がありましたから。

会場ではおまじないグッズの販売も!

―おまじない特集はどのように企画していたのでしょうか。

企画というか、マークさんという方がいて。その方がおまじない好きで自分で調べておまじないをやっているうちにだんだん読者が「私もできるようになったよ」と自分で作ったおまじないを教えてくれました。今では有名な電話番号ダイヤルゼロ番のおまじないです。考案した読者からのお便りを紹介したところ、もう全国から「私はこうしたわ」「こうやったらうまくいった」とお便りが殺到したんです。そうして「私の知っているおまじない」のページがどんどん増えて。そういう流れのものが多かったです。当時10代、20代向けの楽しい占いは全くなくて、大体30代、40代がやっていたもので、それも日本の怖い占いが主流だったんですけど、西洋の12星座で若い層向けにやってみたら他にないし面白いんじゃないかって。それで取り扱うようになったおまじないを読者がどんどん広めたという感じですかね。マークさんも元読者で毎月手紙を出してくれていたんですよ。だからおまじないブームを作ったのは、マークさんであり読者の皆さんですね。

マーク・矢崎さん…20歳の時に『My Birthday』の連載「マークの魔女入門」でデビュー。読者のお悩み相談に答えたり、占い・おまじないに関して幅広いメディアで執筆。

―本当に読者の方達が誌面の中で交流しているのが感じられます。読者大会なんかもインターネットがない中で500人が集まるなんてすごいですよね。

読者大会はこの誌面だけで紹介して、前日に僕も先生方も本当に人が来るのかなと心配していましたけど、学校の体育館とか公民館を借りたんですよ、行ったら中がなにやらざわざわとしていて、「どうしたんですか」と言ったら「椅子が足りないからどんどん運べ」って言われましたね。本当にすごかったです。

―印象に残っている読者はいますか?

いろいろありますが、「自殺します」と編集部に電話がかかってきたり、原宿に来たらスカウトされるものだと思っていたけど、してもらえず家に帰れなくなって魔女っこハウスに来たりとか。

魔女っこハウスは1987年に説話社編集部の1階に開設され、おまじないグッズやアクセサリーが買えるショップとコンピュータでの占いやスタッフとの交流ができたそう。大勢の読者が遊びに来たそうで、当時修学旅行で東京に来たら魔女っこハウスに寄るというのが一つのルートになっていたんだとか。

悩み相談はいつも電話がかかってきてました。MB会員の特典で専用電話の開設があったのでそれが大人気でした。

―もし今SNS世代に向けて『My Birthday』を刊行するとしたらどんな企画にしますか?

うーん。『My Birthday』をですか。『My Birthday』が売れた理由はいろいろありますが、その時代と違うんでね、非常に難しいな。

当時『My Birthday』が売れた理由としては3つくらいあると思うんですけど、まず1つめは、『My Birthday』が最初に刊行された頃は、日本が貧乏だったんです。だけどこの本がでた1年後くらいからバブルに向かっていったんですよ。だから、良い時期に出せたんです。2つめは、とにかく読者のことを大事にするということですね。それから、占いに関しては作り手の編集部も全部素人なんです。それがとても良かったと思っていて。先ほどもお話しましたが占いはその頃、若い人がやるものじゃなかったんです。占いを全く知らないけど編集するためには占いのことを知る必要があって1、2年間先生にわからないことどんどん聞いてたんですけど、それでわかるようになって、さらに読者が理解できるようにして出したんです。素人がやって素人が分かる内容で出した、編集部が読者を代表するというか。

歴代の『My birthday』 実業之日本社

『My birthday』は、実は最初3カ月くらいはあんまり売れなかった。最初は5月号が5万6000部、6月号は4万5000部、7月号は4万6000部とか、それから8月号が4万をきってるとか、この辺りが一番危なかったかな。もうやめるんじゃないかと。でも発売元の実業之日本社の前社長さんが「うちの雑誌で5万部いってる雑誌はないじゃないか。大丈夫だから、もう少し頑張れ」って言ってくれたんですね。その一言で9月号からどーんと上がって。なぜそうだったかというと、その頃はスマホとかなかったから、くちコミで世の中に知られるまでに4カ月かかったんだろうと、そういう考え方もあったんですね。ただ、よくよく考えてみるとやっぱり素人がやってたのが良かったんですよ。ある意味一生懸命で。西洋占星術がそんなに広がってなかったから。ただ今はそういう時期じゃないから、じゃあ何がって考えると難しいですね。

今は、どういう子達になっているかとか、やっぱりでもSNSの影響で当時よりもっと広がっていくだろうからね。そういうのをちゃんとやれるやり方とか、うーん、そういうのに騙されないとか、ようするに形としてはこういうのを出しておきながら、どういうものを出していきたいのかそういうのを考えていかないといけないですね。

当時も徹夜して調べていろいろと大変でしたけど、先生も編集部員も皆、あとになって「楽しかったなー」と口をそろえて言ってくださるんです。1回見た人は忘れることのない雑誌ですよね。

当時の楽しさが思い出せるグッズ

展示会では、『My Birthday』展限定の様々なグッズを購入することができます!

本誌のおまじないコーナーにちなんだグッズもあります。

また、展覧会に合わせて刊行された「『My Birthday』愛蔵版1979~2006」も取り扱っています。こちらの愛蔵版はレジェンド占い師の先生方のエピソードや当時の企画ベストコレクション、今までの全322冊すべての表紙などなど盛りだくさんな内容となっています。酒井社長と読者とのエピソードについてもより詳しく載っているので、ぜひチェックしてほしいです!

「『My Birthday』愛蔵版 1979~2006」 実業之日本社

【商品情報】

『My Birthday』愛蔵版1979~2006

編者:My Birthday編集部

発行所:実業之日本社

発売日:2026年06月25日 定価:3,520円(税込)

当時を知る人はもちろんですが、『My Birthday』を知らない人でも当時の誌面の楽しさを知ることができ、とてもワクワクする展覧会となっております!

ぜひ足を運んで自分の目で確かめてみてください。


【イベント開催情報】

『My Birthday』展 80~90年代を席巻した 占いカルチャー少女雑誌
会期:2026年7月4日(土)~9月27日(日)
休館日:月曜日
開館時間:10:00~17:00(入館は16:30まで)
会場:弥生美術館 1階~2階
同時開催:弥生美術館3階会場 高畠華宵展
竹久夢二美術館 あなたも目利きに! 竹久夢二入門 展 ―夢二絵の見かた&楽しみかた―
入館料:一般 1200円 大高生 1000円 中小生 500円 ※竹久夢二美術館と併せての料金
住所:弥生美術館 〒113-0032 文京区弥生2-4-3
アクセス:東京メトロ千代田線〈根津駅〉1番出口/南北線〈東大前駅〉1番出口よりいずれも徒歩7・JR上野駅 公園口より 徒歩20分

★学芸員によるギャラリートーク8/22 (土) 14:00~約40分 事前申込不要/要入館料
★昭和的ガーリー文化研究所の〈ゆかしなもん〉さんが秘蔵の『My Birthday』グッズを披露してくださいます!
★ラフォーレ原宿にて関連イベント開催!7/1(水)~9/30(水)
ラフォーレ原宿 B0.5 愛と狂気のマーケット内、 vanilla ブースで 『My Birthday』の表紙を使ったアパレル雑貨を展開。

[Informtion]
[主催]
●弥生美術館
https://www.yayoi-yumeji-museum.jp/

[特別協力]
●実業之日本社
https://www.j-n.co.jp/

●説話社
https://www.setsuwa.co.jp/
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