
アップデートされる多様性と繋がる世界~森泉岳土先生インタビュー~【前編】
マンガ家。オリジナリティあふれる作風で注目を集め、イラストレーターとしても書籍の装画、挿絵、映画やイベントのポスター、CDジャケットなども多数手がけられている。タニスワフ・レム原作『ソラリス』のコミカライズが早川書房より2025年1月22日上下巻で刊行。
日本語学習教材のカバーイラスト作成
―今回インタビューをさせていただくきっかけになったのが、弊社と取引のある㈱ココ出版さんが出されている『とりあえず日本語能力試験対策シリーズ』のカバーイラストを森泉先生が手掛けていたということなんですけれども、どのような経緯で引き受けられたのでしょうか?
直接、担当のかたからご連絡をいただいたんです。僕自身、大学時代からずっとバックパッカーで世界中を旅行したりしていて、海外に対する憧れがすごく強かったんですよ。僕が海外に憧れるように、海外の人たちが憧れを持って日本に来て、日本語を勉強してくれるということにとても感激して、ぜひ引き受けたいなと思いました。
―出版社のかたからお声掛けがあったんですね。
僕の生活圏内にも海外のかたがいらっしゃるんですけど、みなさんとても上手な日本語で喋ってくれるんですよ。僕も英語を勉強しているので、海外の言語を習得するのがいかに大変なのかは承知しているつもりです。ましてや日本語なんて言語のなかでもけっこう難易度の高いほうなんじゃないかと思うわけです。そんな言語を教科書などを使って頑張って勉強されているってことなんですよね。近所に台湾からやってきた女性がやっているカフェがあったんですけど、そのかたがまさにこの『とりあえず日本語能力試験対策シリーズ』を使って勉強していますって教えてくれて。
―そうなんですか!それはグッときますね。
グッときますよね。僕も感激しましたし、そのかたも「私の教科書の絵を描いてくれた人が来てくれた!」って喜んでくれました。カバーイラストを描いたことで、僕自身も世界とつながっていけたという経験でした。本当に引き受けてよかったな、というお仕事です。

―実際、日本語能力試験の受験者数が増えていて、今年は応募者・受験者数が過去最高だったそうです。インバウンドもそうですが、勉強するかたが増えることで先生の作品に興味を持ってくれるかたも現れてくるんじゃないかと、そういう相乗効果があったら面白いなと思っています。テーマごとにカバーイラストを描かれていますが、例えば「聴解」だとヘッドホンを身に着けたイラストなど、各テーマを意識されていると思うんですけど、人物や背景で意識されたことはありますか?
海外から日本に来て日本語を勉強されている人たちにはいろいろなルーツの人がいらっしゃると思います。なのでそのあたりは意識して、白人や黒人、ヒスパニック系やアジア系など幅広い人種を描かせてもらいました。それからヒジャブを被っている女性がいたりですとか、多様なかたたちに開かれたものとして描きたいなという思いはありました。
固定観念ってこわいんですよ。僕は1975年生まれなんですけど、僕の世代で言うと、小学生のころって“外国”って言うとそれはそのまま“アメリカ”って意味だったりしたんです。アメリカといっても当然いろいろなルーツの人たちがいるんですけど、当時の映画や雑誌のなかのアメリカって、やっぱりなんとなく白人の国に見えるわけです。そういった固定観念のなかで育ってきてしまったので、時間をかけて徐々にそういった思い込みを取りのぞいてきたという感覚があります。それこそバックパッカーとしてアジアや中米などを旅行した経験が大きかったと思います。
―やっぱり装画ってすごいですね。あのワンシーンにある背景を知るとよりすごさが分かるというか。先生の描かれるイラストはメッセージ性がありますよね。
漫画もイラストもそうなんですけど、作品を描こうとする上でいちばん大事なものって僕は“作家性”だと思っているんですよ。あるとき、“作家性”って海外に行ったときに英語でどう説明しようかと思って、英語の辞書で調べてみたんですけど、載ってなかったんですよ。あれ?って思って、日本語で他になにか言いかたあるかと思って日本語の辞書でも調べてみたら、そこにも“作家性”という言葉がなかったんです。

―そうなんですか。
当たりまえのように使っているんですけどね。海外でどうしても説明しなきゃいけないときになんて言ったらいいんだろうと思ってもうちょっと突っこんで調べたら、用例のほうに“individuality”って書いてあったんです。つまり個性ってことでしょう? なんだ、作家性なんて言葉を使わずとも、個性、ようは「あなたはどういう人間なんですか?」ってことだと分かって。絵って――、絵だけにはかぎらないんですけど、普通に何にも考えずに表現してしまうと、自分のなかの固定観念が出てしまうんですよね。もし僕が小学生のころのような外国といえばアメリカ、アメリカといえば白人という固定観念のままで成長していなかったら、そういった絵を描いていたかもしれません。怖いですよね。
それにたとえば、アジア系だと見た目は日本人と区別がつきにくくて分かりづらいから描かないほうがいいかもと省いてしまうですとかね。でも、それはちがうなと思って。できるだけ世界中の人たちの手に取ってもらって、「私たちがいる」って思ってもらえるような装画にしたいなと思って描きました。
―先ほどお話にあった台湾人のかたとのエピソードはまさに当てはまりますよね。今の時代にマッチした、こうした多様性が浸透している中で先生の装画っていうのはぴったりはまっていますよね。
【こぼればなし】
㈱ココ出版の担当の方にも経緯もお伺いしました。
―森泉先生にオファーした経緯について。
日本語って、アニメなどのサブカルチャーから日本語教育に入る外国人のかたが多くて、そういったアニメなどを使った装丁の教材も出ているんですけど、弊社としてはもっと上質なものを提供したいと思いまして。やっぱり本って「モノ」なので、持ち歩く時に素敵な良いものを持たせてあげたいと思った時に、森泉先生の絵を表紙にしたいなと。もともとXで先生の発言に共感して、追いかけていたんですけど、どういった絵を描くのかと思って詳しく調べていたら、先生が爪楊枝と墨で絵を描いている動画をSNSで見つけて、「うわ、天才見つけた!」と、これは是非お願いしたいと思ってオファーしました。先生自身もすごく興味を持ってくださって、快く引き受けてくださいました。
『ソラリス』について
―つい先日完結されましたハヤコミでの『ソラリス』、私も拝見していたのですが、週刊連載だったので驚きました。
はじめはどういうかたちで連載するかは分からなかったんですけど、新しいコミックサイトができるので、じゃあそちらで連載しましょうということになりまして。連載がはじまるまでにかなり描きためていたので、計算すると週刊連載で行けそうだったんですよ。最後かなり追いつかれそうだったんですけど、ぎりぎりですがなんとかなりました(笑)。
―Xでもつぶやかれていましたよね(笑)。このインタビューが公開される1月には単行本が上下巻で出るということで、こちらも楽しみにしています。
ちょうど昨日すべての作業が僕の手を離れました。
―単行本になるにあたり手を加えられたりしたんですか?
ええ。絵って描き終わったときは「良い絵が描けた!」って満足しているんですけど、しばらく経ってからどうしても「やっぱりもう少し手を入れたいな」という箇所が出てくるんですよね。気になったところはとことん手を入れました。

―ということは、完成版という感じでしょうか?
そう思っていただければ。内容自体は変わっていないんですけど、絵のクオリティだけを上げました。
―先ほどの教科書のイラストでもお伺いしたように、色々と考えて作品作りをされているかと思うんですけれども、ソラリスもやはり意識したところとかはありましたか?
たとえば、ソラリスって60年代にポーランドで書かれたもので、時代的に、作品のなかの科学者はおそらく白人男性をイメージされているのかな、と感じられるように読めるんですよね。具体的にそう断言されているわけじゃないんですけど。たぶん当時はそれが当たりまえだったんだと思います。とはいえ、実際には原作でそう断言されてはいないので、そのあたりは女性にしたり、黒人やアジア系として描いたりしました。そちらのほうが現代の『ソラリス』にはふさわしいなと思ったんですよね。こういったことは、現代アダプテーションしようと思ったときに僕ができることだと思うんです。無理やり変更するわけではなくて、原作のなかの裁量の余地があるところで可能な範囲で、ということですが。
―なるほど。スティーヴン・ソダ―バーグ監督の映画『ソラリス』のほうは主要な登場人物の性別が一部変わっていて、まさに逆の表現だと思いました。今のお話を意識してもう一度読み返したいと思います。
僕はできるだけ原作に忠実に描きたいタイプなんです。それは、スタニスワフ・レムという一人の作家が見たヴィジョンをいかに視覚化するかっていうことではあるんですけど、そのレムのヴィジョンを、僕たちはレムが書いた小説でしか知りえないわけです。僕は、できればレムが小説を書くまえに頭のなかにあったヴィジョンがどういうものだったのかを小説を読み込んで、想像して、今度は小説を介さずに漫画としてヴィジュアル化できたらいいなと思っているんです。言い換えると、もしレムがはじめから小説ではなく最初から漫画で描いていたらどういうものになったのかっていうことなんですね。なので、たとえば主人公や主要な登場人物の性別を変えるということを僕はするつもりはないんです。科学力などもレムが小説を書いた1960年代から見た未来像そのままで描いています。

―その当時の人が想像した将来の科学力のイメージってことですよね。
原作には薄型液晶テレビやスマホみたいなものは存在しないんですね。ブラウン管だし、テープレコーダーだし。先日映画の『エイリアン』を観なおしたんですけど、やっぱりブラウン管なんですよね。1979年の映画ですけど。
―なるほど。私はミニシアターブームの世代といいますか、アンドレイ・タルコフスキー監督の『惑星ソラリス』を観て原作があるのを知ったんですけど、先生はソダ―バーグ監督版もどちらもご覧になられましたか?
両方観ています。小説のまえにタルコフスキー監督の『惑星ソラリス』を観ているはずです。ただ、複雑で面白かったことだけは覚えていたんですけど、内容はほとんど忘れていて。なので、書店で新訳が出たのを見かけたときに、複雑だった印象のあるあの映画の原作はどんな小説なんだろうと思って読んだのが経緯で、ソダーバーグ監督のほうは原作を読んだあとに観ました。どちらの映画も独特で面白いですよね。
―”原作に忠実に”、というお言葉がありましたが、タルコフスキーとレムは交流があったようで、作品の解釈を巡っては半ば喧嘩別れしたとネットなどで見かけるんですけど、個人的に先生のソラリスを読んで思ったのが、レムが生きていたらかなり喜ばれたというか、先生の解釈に納得されたんじゃないかなって。たぶん先生もそういった手応えは感じてらっしゃるのではないでしょうか?
読んでもらいたいなとは思いますよね。気に入ってもらえるとうれしいですけど、希望ですね。
―映画では見えなかった部分が先生の漫画を読んだことで、やっぱり圧倒的なソラリスという惑星の持つ得体の知れなさっていうものの描かれかたが、シンプルな人物の描写と本当に対照的だなと思いました。ソラリスに関しては、先生自身も何度も描かれたとXでおっしゃっていましたけど、得体の知れなさ、未知のものっていうところの対比が、映画では表現するのが難しいっていうのもあるんですけど、あまり汲み取られていないなと思いました。
タルコフスキー監督の映画に関しては、当時の技術であの海を表現するのは難しかったでしょうね。CGもない時代ですし。あとは、映画って時間芸術なので、映画がはじまってから終わるまでの時間をどうコントロールするのかを考えると、海やソラリス学の歴史などの説明が始まってしまうとどうしても物語を止めてしまうという問題もあります。
でも、海の描写ってやっぱりソラリスの魅力の大きなひとつですよね。17兆トンの海がどれだけ得体の知れないものなのか、人間が想像できるものをどれだけ超えているのか、そんな海が人間とコンタクトできるのか、というのがこの小説の魅力ですし。それを表現するためには僕も右腕壊れるぐらい描かないとって(笑)。
―気が付いたらすごい状態だったってXでもおっしゃってましたよね。
通っている整体の先生に「いったいなにしたらこうなるんですか」って怒られました。
―でも、確かにそれは伝わるというか、理解できますね。ソラリスってこういうスケールなのかって。単行本ではさらに加筆されてるということですもんね。
たぶん、日本でも有数の原作を読み込んでる人間のひとりだと思います(笑)。
【新刊情報】
今回インタビューでお伺いした「ソラリス(ハヤコミ(ハヤカワ・コミックス))上下巻が1/22に発売になりました。鈴木成一デザイン室による装丁は森泉先生が「モノトーンにシルバーの箔が作品世界にマッチしていて美しく畏ろしい。」とXでも絶賛のブックデザインとなっております。

ソラリス 上(ハヤカワ・コミックス)
著:スタニスワフ・レム(原作)
森泉岳土(マンガ)
出版社:株式会社早川書房
発売日:2025/1/22
価格(税込):1,980円
詳しくはこちら:
https://www.hayakawa-online.co.jp/shop/g/g0005210399/

ソラリス 下(ハヤカワ・コミックス)
著:スタニスワフ・レム(原作)
森泉岳土(マンガ)
出版社:株式会社早川書房
発売日:2025/1/22
価格(税込):1,980円
詳しくはこちら:
https://www.hayakawa-online.co.jp/shop/g/g0005210400/
★『ソラリス』刊行記念イベント開催のお知らせ★
<原画展>
・ハヤカワ・コミックス『ソラリス』刊行記念 森泉岳土原画展
日時:2025年2月26日 (水) 〜 2025年3月13日 (木)
時間:平日 11:00~21:30 土日祝 10:00~21:00
料金:無料
会場:青山ブックセンター 本店・ギャラリースペース
<トークイベント>
・ハヤカワ・コミックス『ソラリス』刊行記念 森泉岳土×小川公代トークイベント
日時:2025年3月2日 13:00~14:30(開場 12:30)
参加費:1,650円(税込)
定員:100名
場所:青山ブックセンター 本店 大教室
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・森泉岳土 公式ホームページ
https://moriizumitakehito.com/
・X:https://x.com/moriizumii/
・Instagram:https://www.instagram.com/moriizumi_takehito/
・ココ出版
https://www.cocopb.com/
・早川書房
https://www.hayakawa-online.co.jp/
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🦉神保町にある貿易会社ではたらくシリタイくん
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